ショックとは? [S-1]ショック体験-1 [S-2]ショック体験-1の考察
[S−1]
*お嬢の場合*
ショック体験−1
初めてショックを起こした時がどんな状況だったかをお話します。
もっとも、ショックという認識の無いころの事です。時期 : 6歳になったばかりの7月
ところ : ハワイから帰る飛行機の中
アレルゲン : 機内食に入っていた、たぶん「胡椒」
症状 : 静かに寝ている様になる
顔色が白っぽくなる
顔色が土色になる
呼びかけに応じない
ざっと、こんな感じです。
では、少し詳しいお話をいたしましょう。
ハワイへ行くきっかけになったのは、そのころの某大学病院の主治医の
「最近、患者さんのアトピーの子が、乾燥した土地に行くと良くなるって聞くよ」
という言葉からでした。
その主治医であるお医者様は、ご自分の子どももひどいアトピーで、
奥さんが、やはり私と同じように「わらをも掴む思い」でアトピーと
格闘しているという方。
日ごろから、私がノイローゼになりそうな時や、いろいろな可不思議なことを
言っても「フムフム」と根気よく話を聞いてくださり、うちのパピーとも結構話の合う
とっても信頼しているお医者様でした。上のお嬢が6歳と半月、下のお嬢が3歳と8ヵ月半になっていた7月。
カーニバルなどが来る7月2日のUSA独立記念日に合わせて旅立ちました。実は上のお嬢は、3歳の時もパピーと2人でハワイに行かせた事があります。
もちろん、「乾燥した土地」の言葉を初めて聞いたときのことです。
パピーに任せるのは、本当はとっても心配でした。
だってやっぱりマミーである私とは、思い入れ・・・というか、気配りがちがうでしょ。
でも、このとき、結構やりたい放題でOKだったんですって。今回は私も着いて行くというので、コンドミニアムを借り
ほとんどを自炊しました。
ハワイはやはりアメリカなんですねー!
日本の観光地に比べると、とってもアトピーに理解があると感じました。
無農薬野菜はわざわざ探さなくても、普通のスーパーの一角にありますし、
レストランでは、こちらの要求を当たり前のように受け入れてくれます。
パンも卵・乳製品抜きという自然食品も簡単に手に入ります。ということで、一週間という長い(?)滞在期間も、なんの支障もなく
あっという間に過ぎてしまいました。来る時の飛行機でもそうでしたが、帰りの飛行機も
事前に打ち合わせた通り、アトピー用に機内食の打ち合わせも万端OK。・・・のはずでした。が・・・
機内食は、「卵・乳製品抜き」「2次食品もダメ」
・・・ということで、ほとんどが果物と野菜でした。
ドレッシングもかかっていましたが、大丈夫そうでしたので
半分ほど食べました。食欲に関しては、普段すごく旺盛な子ですが
その時は、「つかれちゃったのねぇ」くらいに思い
全部たいらげないことも、さほど気にしませんでした。食事後もすぐにおとなしくなり、寝てしまった感じ。
いつもは「きゃーきゃー」と、ハイの状態が多い子ですが
この時も、「よほど、つかれちゃったんだぁ」って思っていました。なんだか「おかしいな」と気が付いたのは、寝ているにしても
ズーっと、ぜんぜん身動きしないんです。パピーに「おかしくない?」と言っても「寝ているから大丈夫」って。
でも妙に顔色が、真っ白なんです。
「ちょっと、様子を見ていてね。」と言ったんだけど、
気になるから5分も経たないうちに、覗いてしまう。
と、30分もしないうちに、顔色がどす黒くなってきたんです。
「えっ?えっ?えっ?」
「パピー!おかしいよ!!!」パピーも「えっ?えっ?えっ?」って。
「**ちゃん」
「**ちゃん!」
「**ちゃぁんん!!!」呼びかけても、揺すっても、うんとも寸とも反応なし。
それに、どんどん顔色が黒くなっていくし。
「あー、あー、あー」「どうしよう、どうしよう・・・」それからが大変。
スチュワーデスに知らせ、お医者様がいないか機内放送。
250人くらい乗っているジャンボなのに、この飛行機には
運悪く、一人もお医者様がのっていない!機長がハワイの病院に連絡してくれたり、
スチュワーデスが酸素吸入器を持ってきてくれたり、
USA本土で救急隊員をしているという人が来てくれたり、
喘息にくわしいという人や、とにかく、てんやわんや。なんとその騒ぎで、お嬢が気を吹き返して、な、な、ちょっとだけ泣き出した!
内心「・・い、生きてた・・・」
それからが、また大変。
とにかく、話し掛けつづけて、気をたもたせること。
声を出させつづけたほうがいいということ。
つまり、泣いてもいいから、寝かせない。
。。。ってことで、先ほどの救急隊員だという人や
スチュワーデスの方たち、他にも色々なひとが
助けに来てくれました。お嬢は、それを知ってか知らずか、
だんだん大声になっていきます。
言うこともはっきりしてきて、
「くるしいー!」
「たすけて!!!」
「おかあさんのバカァー」
「くるしいよー」
「おかあさん、たすけてよー、バカァー」
「えーんえん」
叫びと泣きの繰り返しになってきました。
そして、手足も、抱いている私を叩こうともがけるように。今思うと、頼り切っているお母さんが助けられないって事が
お嬢には、初めての体験だったのね。
「おかあさんのバカァー」
って聞いたときは、「ごめんね、ごめんね」って思う反面
「こんな事言えるまで戻ってきたんだ」って、うれしかった。こうして、日本の空港に着くまで3時間。
一緒に乗り合わせた乗客の方たちは、
旅行つかれをゆっくり寝て過ごしたい帰国の飛行機なのに
本当に本当に、騒がしくて、落ち着けない時間にしてしまいました。
そして、名前も知らない初めての人たちばかりなのに
みんな助けて下さって。
飛行機を降りる時は、沢山の人が
「生きててよかったね。」
「もう、日本についたからね。」
「よかったね」「ほんとうに、生きててよかったね」
って声をかけて降りていってくれました。
うれしかった。
うれしかった。
ほんとうに、うれしかった。日本の空港では、車椅子、救急車、特別出口と
かなりの体制で待ち構えていてくれました。
機長が、日本の空港にも連絡してくれたんですね。
後から聞いたのですが、最初のころハワイへ戻ることまで考えたそうです。
しかし、中間位だったこともありハワイの医師の指示をもらい
スチュワーデスに伝えて(機長はアメリカ人でした)なんとか
日本まで持ちこたえさせるようにと、頑張ってくれたそうです。知らなかった。そこまで動いていたなんて。
それに、その時は、パニックだったから
本当にみなさんの親切が、ものすごく大きな事だったのに
気付いたのって、帰ってきて落ち着いてからだった。
だから、とっても簡単に「有難うございました。」、だけでした。ちょと書いてて、感動がよみがえってきちゃったものだから
話のすじがずれたかな。日本の空港では、すごい体制で待っていてもらったんだけど。。。
結局、お嬢も、ほとんど回復していたのね。
あの、大声で泣き叫びつづけたのが良かったみたい。
呼吸も楽に出来るようになっている。
しかも、「着いたよ」という安堵感もあるのか、自力で歩ける。
それに「絶対救急車に乗りたくない!」っていうものだから、
「家まで近いですし、自分達で医者に回ります」ってことで
周りの周到なる準備を横目に、さっさと帰ってきました。
もちろん、おれいの言葉は残しましたよ〜!う〜ん、でもなにで帰ってきたか覚えていないなぁ。。。
タクシーやバスって記憶もないし。。。なにに乗って帰ったのかな。。。もちろん帰ってすぐ、近所の主治医の所へ行きました。
次ページ[S-2]この体験で考えたこと
レスあり*ゲストブックです。
もちろん、他の事でもOK。よろしく! |
ホームページTOP メニューページへ |